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青森県の十和田湖周辺では昭和30年頃から、冬の収入源として自生しているイタヤカエデから樹液を採取しカエデ糖を生産販売していました。

十和田産のカエデ糖は日本で初めての国産メープルシロップでした。

昭和6年の国立公園法制定により、十和田湖周辺は十和田国立公園となっており(のちに十和田八幡平国立公園)、自然保護活動家の保護活動が活発化し、カエデ糖が生産できなくなり廃止になりました。

十和田にはこのような歴史があります。

そして、平成23年。

十和田市在住の大久保学氏を中心に過去の作業工程などの記録・保存を目的として、十和田湖畔の宇樽部地区にてイタヤカエデ10本から樹液を採取し、カエデ糖を生産しました。

翌年には、イタヤカエデ30本から樹液を採取し生産販売もしました。

これを踏まえ、平成26年3月に採取地を民有林に移し、その森の植生調査からイタヤカエデがたくさん生育していることから、イタヤカエデ50本から樹液を採取しました。

この取り組みによって、十和田のカエデ糖が地場産業になりうるのか、そこの地域のためになるのか、冬の新しい取り組みになるのかなど、冬の森にはどのような可能性があり、また、問題点や課題がどのようなところにあるのかを検証することを目的としました。

続。平成27年3月の採取地は、昭和30年ころから40年代まで樹液採取が行われていた十和田湖畔宇樽部地区での採取としました。

イタヤカエデの生える土地をより深く読み込むために、一本一本のイタヤカエデから樹液が何リットル採取できるのか、糖度は何%か。

時間とともに出てくる樹液の糖度がどのように変化していくのか。

林冠の状態や樹高、胸高直径などのデータを取り、個体差や優秀なイタヤカエデのサイズ、それと、過去の宇樽部地区のカエデ糖生産がどのような理由で優秀であったのかを検証していくことにしました。

そして、なぜ1956年当時の営林局がこの取り組みをすることに至ったのかを追ってみることにしました。


※当事業は、国立公園であると同時に、文化庁の国指定特別名勝及び天然記念物に指定されている地域のため、文化庁から許可を得て実施している。

また、当該地は国有林内であるため、林野庁(所管営林署)からも許可を得て実施した。



楓蜜採取事業

1956年2月下旬から3月に渡って、青森営林局管内で楓蜜採取事業が行われました。

実行した箇所は七営林署の十三事業地。

その中でも青森県三本木営林署の宇樽部事業地と子ノ口事業地の生産費が優秀な数字でした。

同じ三本木営林署内の焼山から子ノ口に至るまでの奥入瀬渓流沿いでの採取は様々な困難があり、成績は不振に終わりました。

以降、宇樽部・子ノ口地域では農閑期にその土地の農家の人々が樹液採取し、シロップの生産を行いました。

「楓蜜採取事業の報告」(青森林友1957年2月)のむすびに、「三十年後を目標とした薪炭林改良に織り込む施策を望んでの試験経過であった」とあります。

これは一体どういうことなのか?

時代背景からこの事業が取り組まれるに至った経緯を推測してみる。

世の中は、採取事業が行われた1956年の翌年、1957年に国有林生産力増強計画が始まります。

(一)治山事業を強化すると共に、奥地未開発林の排発を総合的に促進する。

(二)木材需要の変化に即応すると共に、森林経営を集約化し森林生産力を増強するため、人工造林の拡大および林木育種事業を促進する。

(三)木材の生産・利用および消費を合理化する。

という計画です。

1954年から始まる高度経済成長により木材需要の高まりから、規制の緩和を求めて国民とマスコミの要望・圧力から計画されたものです。

この4年後の1961年にも国有林木材増産計画により、さらに造林が拡がりました。

これは、向こう四十年間に生産性が2倍になることを試算利用して、成長量の2倍を超える伐採を行い将来に見込まれる森の生産性増大を先食いして木材生産を推し進めた計画でした。

(この辺の掘り下げは別でする。)

薪炭林の改良の施策というのは、木材を熱源とする生活様式が、薪炭から石炭・化石燃料へとの転換が進んでいたため、都市部を中心に薪や炭の需要は減ってきていました。

しかし、地方では従来の様式によらざるを得ない事情もあり、急激に薪炭そのものを減少せしめ得ない現状でもあったようです。

このように複雑な情勢から今後里山に限定されるであろう小面積薪炭林をいかに集約的に経営するかが問題になっていました。

薪炭林の改善については古くから樹種の改良、作業法、伐期齢、伐採季節の改善、保育期間中の手入れの励行などの方法が考えられていたが、実際にはそれほど実行されていませんでした。

民有林における掠奪的林業経営や国有林での皆伐作業などの過去の森林の取り扱いは、目先の資源が豊富であったことによる粗放な施業が原因であり、当時その惰性で経営しているものもあったようです。このような状況を改善するために1935年(昭和10年)平内の試験林では薪炭林施業の改善策である作業法についての研究を行いました。主として択伐薪炭林の成長過程を明らかにしたものでした。

平内の薪炭林総合試験地では林分構成樹種50余種の中にイタヤカエデがあります。

炭材としても有用なイタヤカエデの取り扱いに対して、炭材としてだけではなく樹液採取からシロップの生産を行い、イタヤカエデの保存や植林事業を推進し、事業報告に記載されているように、北米やカナダに見られるような砂糖生産量を森から求めるような自然条件を作り出すために、30年後を見越しての事業だったのではないでしょうか。

そして、改善された薪炭林は人の手の行き届いた理想の薪炭林でありカエデの多く生える有用な森なのではないでしょうか。



参考・・・楓蜜採取事業の報告           (青森林友1957年2月)

     平内薪炭林総合試験地の施業経過 (1963年3月)


メープルプロジェクト概要