2016年

8月

旅出発前  

中旬

2015 津軽編

2015 夜明け前編

2014 東北編

2013 下北半島編

 夏の旅。

旅の目的は、地形と植生、自然環境などを見ながらその土地の人の営みの歴史を紐解いていくことであり、人がつくった環境を深く考察することにある。

先史時代、なぜそこに住まうことになったのか、なにを食料にしていたのか…

狩猟採取から食料生産への過渡期の人々はどのように受け入れて行ったのか…

今現在に至るまでの歴史の中にいた人々の生活や感情がどのようなものだったのかを想像する。


 8月中旬 

昨年の夏の旅の時に決めていた九州への旅を画策する。

九州の地を踏むのは、2002年の大学の夏休みにヒッチハイクで旅をした時以来である。

あの時、23歳だった自分は、旅をするという行為に憧れての旅であり、まだそこに見るものがあることを知らずにいた。

あれから13年、36歳の自分は風景から多少なりの物語を読むことができるようになったと思う。江戸時代の匂いを感じることができるのか、地形の特徴はどのようなものか、距離感、街の大きさ、どのような人と出会うのか、この土地とあの土地の関係性がこのようなところになど、新しい発見が楽しみである。


 8月12日 金曜日

荷造り。

西の旅では標高の高いキャンプ場がないので、車中泊が多くなるのではないかと覚悟をする。

車の窓を覆う網も用意したし、なんとかなるであろうと楽観的に考える。

旅のお供の本は21冊。プラスチックケースに入るだけ持って行く。

森林生態学。

進化生物学。

江戸の林政。

民俗学。

樹木図鑑。

こんなジャンルの本だ。

旅の途中で読み耽ることはないが、手元にあると心が豊かになる感覚がある。

自分に知識を与えてくれた本であり宝物である。

旅道具は必要以上に持って行く。

あればあるだけ安心。

バーナー、フライパン、コーヒーセット、イス、テント、マット、寝袋、ランタン、ヘッドライト、温度計、クーラーボックス、ナイフ、双眼鏡、カメラ、マイクロスコープ、GPS、お風呂セット、藪のなかを入るための鉈、剪定鋏、スケッチブックと色鉛筆と水彩絵具などなど。

それと、登山道具一式。

着替えをプラスチックの箱に入れる。

相棒は平成24年式のスズキのワゴンR。

一人旅にはちょうどいいサイズ。燃費もいい。

後部座席を倒し、荷物を積見込む。

旅が進むと、荷物達は自ずとポジションが決まっていく。


8月

13日

(土)

1日目

 午前2時、出発。

最初の目的地である富士市へ。

東北道浦和インターから高速道路へ。

首都高の渋滞を避けるために夜中の出発。

午前4時過ぎ。

東名道愛鷹PAで仮眠をとる。

寝れるだけ寝ようとしていたのだが、暑さで目が覚めてしまう。

先が思いやられる暑さだ。

10時過ぎに富士駅で小澤慶介氏と待ち合わせの予定。

早く目が覚めたので、エンジンをかけ、エアコンを入れ涼しくしてうつらうつらする。

10月に富士の山ビエンナーレというのがあり、それの下見だ。

最近地方でよく行われている芸術祭。

富士駅付近の空き家やホテルの中庭など展示場所候補をまわる。

夏の湿気と雲によって富士山は見えず。

富士川駅の目の前にある等覚寺へ行く。

等覚寺のお墓はお寺の裏山の斜面にあり、その斜面の頂上からの眺めは富士市を一望できる。

この風景を見ることを作品にしたいと思った。

地方のある地域の狭い事柄よりも、この街が作品になればいいなと思う。

蒲原にある文化財「旧五十嵐邸」という大正時代の建物を観に行く。

きれいに管理されている。ここも会場になるらしい。

蒲原駅近くの中華料理屋でチャーシューメン食べる。下の上。

小澤氏と別れ、国道1号で西へ。

国道1号は山の裾野と街の間を行く。自動車専用道路になっていて快適。

どこでも見るものだが、竹の侵食がすごい。

浜名湖と太平洋の間を行く道が快適であった。

19時頃、下道基之氏から電話がある。

とてもいいタイミングで電話があり、途中豊橋にて銭湯でさっぱりしてから日進市の下道邸へ。

下道氏と奥さんのせいちゃんと語る。有意義な時間。

幸先良いスタートで暑さ以外は素敵な旅になる予感。


  等覚寺からの眺め

  下道氏と

8月

14日

(日)

2日目

 朝早く、せいちゃんは仕事に出かける。

下道氏と語る。

午後、岐阜県土岐市曽木の山間部の集落にある戸叶・花塚邸に行く。

器に木の絵付けをする。

夜、そのままお邪魔になり酒をたらふく飲む。

外は近くで花火大会がありドドーンと山に響いている。

途中から記憶があいまいになり、何を話したのか、いつ寝たのか思いだせない。

下道邸に歯ブラシと歯磨き粉を忘れる。



戸叶氏と花塚氏

絵付け

ピンボケ花火

8月

15日

(月)

3日目

 しっかりと二日酔い。

午前中は体を起こすだけで吐き気をもようす。

そんな気持ち悪い中、花塚氏と曽木を散歩。戸叶氏は撃沈したまま。

近くの神社へ行き、杉の実生について話す。

粘土をこねて、ぐい飲みを作る。

土岐近隣は陶器がよく作られている地域。

器達を花塚氏に託して、午後4時頃、京都へ向け出発。

途中、名神道多賀SAでカレーを食べる。

午後8時過ぎ、京都に着く、京大生の高木遊氏とようか氏と合流。

古〜い銭湯へ行く。ラーメンも食べる。中の中。

二日酔いと疲れで、高木邸で早めの就寝。




近くの神社

8月

16日

(火)

4日目

 今日は五山送り火。

午前中はできるだけダラダラ過ごし、京都の空気に体を馴染ます。

午後から遊と夜のBBQの買い出しへ。

京都の街を車でうろつく。

炭やコンロを買う。

いい肉を買う。

高木邸は吉田山の頂部、目の前は銀閣寺、そして「大」の文字が灯される。

遊の友人の京大生たちが集まる。

若者達に混ざり、酒を飲む。

突然の豪雨。

とても火がつくとは思えないほどの雨量。

地元人は過去に中止になったことないからと言うので、灯るのを待つ。

灯り始めたけど、なかなか大文字にならない。

その間も豪雨。

点いたり消えたりを繰り返しながら、それと同調しながら一喜一憂する。そして、大文字が灯る。

安堵する。

雲が低く、霧も出ていたので、幻想的であった。

雨が落ち着き、帰る人は帰り、残ったものたちで、宴はつづく。

大文字焼き

8月

17日

(水)

5日目

 昨晩は学生たちがたくさんいたが、朝目覚めたら家には遊と2人だけ。

昨夜のBBQの片付けをする。学祭を思い出す臭い。

昨夜の残り物のいいお肉で飯を食う。

隣の住人のりょうまを呼んで、数日後に行くウガンダの話を聞く。

遊と銀閣寺へ行き、庭を歩く。寺というより観光地だ。

京都を発ち、一路西へ。

寄り道せずにひたすら高速道路で西へ。

山口県下松SAで牛骨ラーメンを食べる。中の上。

そして、車で就寝。

銀閣寺と遊と

銀閣寺遠景

8月

18日

(木)

6日目

 下松からそのまま高速道路で西へ向かう。

山陽道を走ると、地形が入り組み起伏もある。そのため大回りして行くことになる。

車の時代以前に瀬戸内海を海路で行き来していたのがよく分かる。

途中の壇ノ浦PAに寄り、関門海峡を眺める。

13年前は下関から門司へ関門トンネル人道を歩いて渡ったことを思い出す。

あの時は遠くへ来たものだと思ったが、自分で運転してきてもやっぱり遠いかな。

目の前の門司港は高倉健の「あなたへ」という映画の最後のシーンの場所。健さん…

関門海峡を渡り、福岡県へ。

そのまま、西へ西へと行き、長崎県松浦市にあるお寺、慈光寺へ行く。

慈光寺は多摩美の仕事で出会った学生の実家である。

お昼前にお寺に到着。

親御さんに挨拶し、本堂の縁側で住職と啓寿とお茶をする。池には鯉がたくさんいる。

しばらくすると、啓寿の母親からちゃんぽんできたよ〜と、着いて早々家族みんなで本場の家庭ちゃんぽんを食す。そりゃうまい。

慈光寺の森家の家族。

祖父(住職)・母親・長女・次女・末っ子長男の啓寿(多摩美生)。

父親は若くして他界したそう。

午後、啓寿と平戸城、松浦資料博物館へ行く。

歴史が色濃くある土地。

地形的に平地が少ないために人の生活できる場所が限られる。

居住地は時代と共に上書きされ続けている。

城山展望台へ行く。松浦の街や島が一望できる。

地形の起伏によって見通しがよく、土地を認識しやすいので、人が住みやすかっただろう。

ため池やダムが散在し、水の管理は昔から重要なものとして扱われたであろう。

そんなことを考えながら海に沈む夕日を眺める。

地酒を買って帰ると、地元の魚介が大皿に盛られている。

調子に乗って、住職に注がれるままに酒を飲み、酔っ払う。

就寝。

関門橋

平戸

平戸大橋

城山展望台からの景色

左から平戸島、生月島、度島と夕日

最高!

8月

19日

(金)

7日目

  30畳くらいの大広間の真ん中で目が覚める。冷房が効いていた。

当然の二日酔い。記憶も曖昧。

昨夜、何を話したのかはわからんが、上機嫌だったようで、粗相はなく済んだよう。

午前中は気持ち悪くて、居間でひとり横になる。

回復の兆しが見えたので明子の運転で啓寿と3人で生月島へ行く。

松浦からは平戸島。平戸島から生月島。

大きな橋で繋がっている。

道中、胃液を出しつつ、石を拾いつつ、生月島の北端の大バエ灯台へ。

柱状節理がつくる景観が素晴らしい。

生月島を一周し、帰りがけにラーメン屋に寄る。

店に入ったら気持ち悪くなり食えず、2人の食いっぷりを眺める。

二日酔いが続く。

松浦へ戻って温泉へ行こうということで、着替えを取りに行く。

近くの志佐川で化石が採れるところがあるということで、インターネットで調べて行ってみる。

志佐川中流の堆積岩が剥き出しになっているところで、淡水性、汽水性の貝化石(牡蠣、巻貝、二枚貝など)を採取する。

前期中新世(約2000万年前)の地層。

夢中で採取し、気付いたら日が暮れて夕飯の時間に。温泉入れず。

夕飯は、うなぎ、あごの一夜干し、じゃこなどの魚介類。うまい。最高!ゆきこさん最高!

一枚ドローイングを描く。もちろん木の絵。

そして、家族みんなと境内で花火。夏だねぇ。


生月大橋

生月島、柱状節理

生月島の北端、大バエ園地にある案内板

化石採取

巻貝化石

慈光寺と森家の人々と

8月

20日

(土)

8日目

 朝、9時に起床。

午前中はダラダラとオリンピックを観戦。

陸上男子400Mリレーで銀メダル。興奮する。

啓寿が東京に戻るということで、有田駅まで森家女性陣と一緒に見送る。

そのあと、近くの竜門ダムへ行き、ダム湖を一周する。

途中にある湧き水の清水を飲んで、「龍泉荘奥の院木もれ陽」で食事をご馳走になる。

店で売っていたパンと旅のお供用にコーヒー豆を買う。

森家女性陣と別れ、西海方面から長崎市を目指す。

長崎の地形は平地が少なく、道は蛇行し、アップダウンが多い。

出島へ行く。出島の周りは埋め立てられ街中にあった。

デジマノキ葉っぱ拾う。

長崎市の街中はゴミゴミしているので先へ行く。

日が暮れ、寝床を求め島原まで行く。

島原の道の駅みずなし本陣ふかえで車中泊。



西海

デジマノキについて

デジマノキの落ち葉

出島

島原市道の駅みずなし本陣ふかえ

8月

21日

(日)

9日目

 朝、身支度をして、島原城へ。

小さいお城。

隠れキリシタンや島原の乱に関する展示物。

そのあと、普賢岳の周りを車で周遊。安山岩の小石を拾う。

12時5分 島原港からフェリーで熊本へ向かう。

1時間くらいで熊本港に。

まっすぐ熊本城へ行く。

地震の影響による石垣の崩落があり、立ち入り禁止が多く遠くから拝む。

熊本城内にある監物台樹木園に入る。

多種の樹木が生えており、とてもよい。城よりも興味を持ってしまう。

車で市内を周ったが、地震の影響は所々そうなのかなぁというくらいの感じ。

違う町に酷いところがあるとのことだったが、阿蘇の地形を見たい気持ちが強く一路阿蘇へ。

阿蘇を見渡せるスポットの大観峰を目指す。

通常行くのに都合のいい道が崩落で迂回路を使う。

迂回路は外輪山を行く道で、とてもよい景色を横目に進む。

大観峰からの眺めは、この地形を認知するのにとても都合がよく、自分が生活するところを俯瞰して見ることができるようなところであり、安心を得ることのできる住まいを求めたのではないかと思った。

阿蘇には川が流れ田んぼが広がり土地をうまく有効利用しているように見える。

崖と平地の間の斜面にはスギの植林地があり、外輪山は草地である。

太古の人々がこの地を求めたに違いないと想像しながら大観峰をあとにする。

藤浩志氏に紹介したもらった小国町にいるアーティストの岡山直之氏のところへ行く。

18時過ぎに岡山氏と合流。坊主にメガネでどこかで見たことのある風貌。

祭りがおこなわれているということなのでさっそく行く。

ビール飲んで、つまみを食う。

小国町は山間の小さな町なのに、30前後のイケイケの若者が多い。

小国が地元の若者が戻ってきて店を始めたり、地域おこし協力隊がいい働きをしているとのこと。

いい文化が育ちつつあるみたい。

岡山氏に連れられ、民泊をやっている北里邸へ行く。

小国の話を更に聞き、10年前に岡山氏がアーティスインレジデンスを始めたときのことや、お酒の話などで盛り上がる。

岡山氏が作ったスペースのなないろで就寝。


島原城

島原城からの展望

普賢岳

熊本へ向かうフェリーと島原の山々

熊本城天守

熊本城まわり

阿蘇

大観峰から見るスギの植林地のある風景

岡山直之氏と

8月

22日

(月)

10日目

 朝、なないろ脇を流れる河原で石拾い。

もちろん、火成岩が多い。

小国にてアーティストインレジデンスで滞在しているズベさんと出会う。

人生を投げて鉄くずで作品を作る58歳。

今に至るまでの自分の人生について弾丸トークを浴びる。

人それぞれ色々な考え方があるなぁ。

小国町を車でグルグルまわる。

林業が盛んのようで、町のまわりは杉の植林に覆われている。

小国町は阿蘇の裾野の盆地なのだな。

今日の最終目的地の宮崎県宮崎市青島へ向けて町を出る。

阿蘇山と草地が広がる大地を横目に、大分県竹田市など山間の道を西へ行き。

宮崎県延岡市から太平洋側へ出る。

そこから、一般道のまま南下する。

宮崎県の海側は平地が多いように見えた。

少し内陸に行けば山があるし、気候的に住みやすいのではないかなぁと感じる。

ただ、今日はクソ暑い。

青島ではサーファーの山本博也氏と待ち合わせ。

会う前に青島神社と鬼の洗濯板を見て、植物園を散策。

土地の特異性がよくわかる地。

仕事終わりの博也氏と合流。

サーファー仲間の伊比井くん、わこさん、おしょうとも合流し晩飯を食べに行く。

全員真っ黒に日焼けしている。

宮崎ならではの巨人軍の選手のサイン色紙が壁じゅうに貼ってある店でラーメンとビール。

翌朝にみんなで海に入る約束をして、博成氏の家で就寝。

エアコンが効いていて気持ち良く寝る。



青島

青島、鬼の洗濯板

青島神社の中にある看板

シマナンヨウスギ

地元のサーファーたちと

8月

23日

(火)

11日目

 午前5時に起床し、青島ビーチへ。

初サーフィンということで、意気揚々と意気込んで行く。

当然のことだが、それらしい動きをすることはできずに、ボードに座り海に浮かぶ時間が多くなる。

朝の日を眺めながら思いにふける。

ボードにうつ伏せで波に乗る。

表面がザラザラのボードでパドリングをできる限りやったおかげで乳首がもげてるのではないかという痛みに襲われる。

そして、持久力のなさも痛感する。

意気消沈して部屋に戻る。

洗濯をしたり、荷物整理したりしつつ、のんびりする。

午後からは、博也氏の職場の青島ビーチにある渚の交番でゆったり過ごす。

京都大学の伊勢さんから、旅の途中に京都通る時に講義を頼まれていたので、自然についての考えをまとめてみる。

一日中、海を目の前にする。

風が吹き、波の音が聞こえ、自然の動きを常に感じる。

夜は、博也氏の後輩たちのライフガードの若者たちとBBQ。

会場のキャンプ場までママチャリで行く。夜風がきもちいい。

キャンプ場にいたのは頭から足の指先まで筋肉な人たち。

どんちゃん騒ぎ。日付変わり帰宅、就寝。

面白い子たちがたくさんいたけど、名前は誰一人覚えられなかったな。





青島ビーチ

鬼の洗濯板

鬼の洗濯板

鬼の洗濯板

鬼の洗濯板

鬼の洗濯板は砂ではなく貝殻がくだけたもの

青島の空

8月

24日

(水)

12日目

 朝、青島を出発。

南下して、鹿児島県佐多岬を目指す。

海沿いにずっと南下して行けると思ったら、日南市の海岸線で崖崩れによる通行止めのとこがあり途中から内陸部を進む。

青島以南の海岸線は断崖絶壁が多く、たまに海に流れ込む川のある平地に集落が形成されている。

明らかに、過去は船移動をしていたであろう地形だ。

博也氏に勧められた幸島を眺める。

幸島には約100頭のニホンザルが生息しており、幸島サル生息地は国の天然記念物に指定され保護されている。

近くには京都大学の研究施設があり、戦後間もない頃から本格的に個体識別による研究が始まったとのこと。

幸島のまわりの海は白波が立っている。

鹿屋市から鹿児島湾に出て、さらに大隈半島を南下する。

開聞岳がきれいに見える。

大隈半島は地形の起伏が激しく複雑のため、平地が少なく人の生活に向かなかったのであろう。

点々と集落がある程度だ。

半島の尖端の佐多岬へ向かう。本土最南端。

熱帯系の照葉樹林が広がっていて、ガジュマルの木に存在感を感じる。

海の向こうにはさらに南の島々の影が見える。

佐多岬にある御崎神社でお守りを買う。

鹿児島湾をフェリーで渡り指宿方面へと思っていたのだが、博也氏が帰ってきてくださいよ〜というので、再び青島へ向かう。

19時頃に青島に戻り、博也氏と飯を食い外に出る。博也氏の語りは夢いっぱいであった。すばらしい。

そして、爆睡。





日南の海岸沿い

幸島

幸島の猿に関する看板

遠くに開聞岳

開聞岳

佐多岬の看板

佐多岬

佐多岬からの見える風景

佐多岬からの遠くに開聞岳

佐多岬の石

佐多岬より

佐多岬の駐車場にあるガジュマル

遠くに桜島

山本博成氏と

8月

25日

(木)

13日目

 普段なかなか、ビーチで遊ぶということもないので、午前中は青島ビーチで遊ぶ。

午後、福岡へ向け出発。

宮崎から高速道路で一気に福岡に到着。

福岡市美術館で藤浩志氏と待ち合わせ。

美術館を拝観し、藤さんの自宅がある糸島へ行く。

藤さんの自宅は浜沿いにあり両隣は海の家。

波の音が聞こえ、常に海を感じる。

藤さんの友人たちが集まり宴が始まる。

寝床は藤邸の築年数が100年を超えている方の家の2階。

窓を全開にして、蚊帳代わりにテントの一層目を広げて寝る。





糸島の藤邸

藤邸からの展望

藤浩志氏と

8月

26日

(金)

14日目

朝、藤邸の目の前の深江ビーチの波は穏やかでとても静か。

藤さんと奥さんとで元々鶏舎だった倉庫とスタジオへ行く。

片付けを手伝い藤邸に戻る。

午後は藤さん家族が出かけたので、書きものを書き、疲れた身体を休める。

21時まえに就寝。





静かな浜

屋内からの眺め

8月

27日

(土)

15日目

 夜明け前に目を覚ます。

波の音が大きく耳に響く。

荷物を整理して、出発準備。

藤家に挨拶をして、大三島へ向け出発する。

福岡市は高速道路が渋滞することなくすんなりと進む。

途中、関門海峡の門司側のめかりPAで九州を振り返る。

まだまだ、九州の歴史など何もわかっていないので、再度旅することを思う。

14時過ぎに、大三島へ到着。大三島が地元の多摩美の助手をしている村上さんと合流。

島にある大山祇神社へ行き、宝物を観る。

国宝や重文に指定された刀や鎧がたくさんあるのだが、いかんせん興味が薄いため心踊ることはない。

それよりも、村上さんに聞く大三島に関する集落のこと祭事のことや子供のころの話などが面白かった。

子供のころの島の外は海外という感覚。

夜、大三島の人がほとんど来ることのない、いい場所を教えてもらい車中泊。

星がきれい。





関門橋

下関2.4km

関門海峡と下関

生口島と大三島を結ぶ多々羅大橋

大山祇神社にて

古城島

古城島についての看板

大三島橋

8月

28日

(日)

16日目

 明け方、肌寒いくらいだった。

8時過ぎに村上さんがやってきて、目の前の浜で石拾い。

徐々に潮が引き始め、干潮時しか行けない浜辺を歩きながらさらに石拾い。

川の流れのように潮の流れが速い。

海があり、山や森が生活範囲内にすぐあるような環境に育った人と、自分のように関東平野の住宅地に育った者とでは、風景や物に対する感覚や見え方に違いがあるだろうなと思う。見えるものへの認識の違い。

11時過ぎに大三島を出発して京都へ向かう。

16時過ぎに京都吉田山に到着。遊と林さんと合流。

18時半頃に京都大学准教授の伊勢武史氏と久しぶりの再会。飲みに行く。

充実の会話。九州で見て感じてきたことの話、共同研究、進化生物学、進化心理学、感情についてなど…

23時過ぎまで会話が続く。






潮が引いて散歩

潮が引いて散歩

伊勢武史氏と

8月

29日

(月)

17日目

 よい目覚め。

9月1日の京都大学芦生研究林での講義まで京都に滞在する。

京都大学博物館へ行こうと思ったら、月火休館。

昼飯を京大の大学院生でゴリラの研究している大塚くんと食べに行く。

キッチンゴリラという店でポークソテー300gニンニクおろしで食べる。とてもうまい。

14時頃、伊勢さんの研究室へ。実習指導を見学。美術大学以外の研究室へ行く機会がないので新鮮であった。

今出川通〜白川通からビールを買って遊宅に。

長崎で採取した化石を撮影したり、石をマイクロスコープで観たりする。

遊の知人のボストン帰りの渡辺くんが来る。

大塚くんも来て、函館の実家から送ってもらったというイカ刺しと鮭で晩飯を食べる







ニコワンにマクロレンズ付けて撮影

8月

30日

(火)

18日目

 ボストン渡辺氏と朝飯を食べ、見送る。

書きものをしているとゆり子氏が現れる。そして、遊も帰宅。

3人で定食屋へ昼飯を食べに行く。生姜焼き定食。うまい

今出川通の古本屋で「森と文明」(ジョン・パーリン著)を買う。

途中で、遊は学校へ。

ゆり子氏の案内で左京区をぶらり。

下鴨神社でお守りを買う。

一乗寺の恵文社で「自然と人生」(ちくま哲学の森)「カラーブックス、空から見た日本」(保育社)を買う。

古着屋で、ハーフパンツを買う。

カフェでコーヒーとケーキを食べ、哲学の道を半分くらい歩きぶらり終了。

逍遥する予定でなかったためビーチサンダルで歩いてしまい、足の裏が痛くなる。 







下鴨神社参道

下鴨神社

下鴨神社の門

左京区逍遥

左京区逍遥

8月

31日

(水)

19日目

 遊と京大博物館へ行く。

「虫を知りつくす」展。ものすごい情報量。

シロアリ見応えあり。

常設展示もとても良かった。

京都大学の遊の学部研究室へ行く。ホストの源氏名が「さや」のさやちゃんと短歌をやっている牛尾さん。

遊とさやちゃんと3人で大学近くの定食屋で晩飯を食べる。






オオシロアリ

オオシロアリ

京都大学総合博物館の展示

京都大学総合博物館の展示

9月

1日

(木)

20日目

 芦生研究林へ行く

昨年の10月以来の芦生。

芦生研究林の概況(研究林のウェブサイトより)

・沿革

本研究林は、大正10年(1921)、学術研究及び実地演習を目的として、旧知井村の九ヶ字共有林の一部に99年間の地上権を設定し、芦生演習林と称したことに始まる。大正12(1923)年、事務所、苗畑、宿舎等の用地として、5・9haを購入した。

平成15(2003)年4月、フィールド科学教育研究センターの発足に伴い、森林ステーション・芦生研究林と改称された。

・地理

本研究林(4、185・6ha)は、京都市の北約35kmにあり、福井県と滋賀県に接する京都府北東部、由良川の源流域に位置する。標高は355~959mで、標高600~800mの部分が全面積の約2/3を占める。丹波高地にみられる準平原状の地形を呈しているが、斜面部は全般的に急峻であり、傾斜は30~40度のところが多い。地質は中・古生層に属する丹波帯と呼ばれる砂岩や泥岩(頁岩)の基盤岩に東西に延びるチャート層を挟む。チャートが卓越する場所では急崖や滝が形成されている。土壌は大部分が褐色森林土となっており、やや粘質で腐植に富んだ表土の厚いBD型が多いが、稜線や小尾根の乾燥地にはBD-d型土壌も見られる。また、沢沿いにはBE型やBF型土壌が、標高800m以上の稜線にはポドゾル土壌が局所的に認められる。

本研究林は、気候区分では日本海型と太平洋型の移行帯に位置し、植生区分の上からも暖温帯林と冷温帯林の移行帯に当たるため、植物の種類が多い。著名な分類学者の中井猛之進博士が「植物ヲ學ブモノハ一度ハ京大ノ芦生演習林ヲ見ルベシ」(1941)と書いた森林である。

事務所構内(標高356m)の年平均気温と年降水量は、それぞれ12・1℃と2257mmである。冬期の積雪深は1m前後であり、年間を通じて降水量が多い。京都市内に較べると、平均気温で3~4℃低く、降水量は約1・5倍となっている。長治谷(標高640m)の積雪深は2m近くにも及び、12月半ばから4月初めまで根雪に閉ざされる。事務所構内に較べると、年平均気温は約1℃低く、降水量は400~600mm程度多い。


 この芦生研究林の研究林長である伊勢さんのセミナーに来ていた学生たちに作品のことや自然のことなどを話す。

芦生の森はまだまだ見所がたくさんあるので、京都へ行く際はできるだけ足を運ぼうと思う。

講義後、広島県福山市の小林正人邸へ向けて出発。

芦生研究林が源流の山間の由良川沿いを進む。

美山の景観はとてもよかった。

里山の風景なのだが、ひと昔前の物語を想像することがたくさんできる。

京都縦貫自動車道の京丹波わちインターから高速道路にのる。

舞鶴若狭自動車道〜中国自動車道〜播但連絡有料道路〜山陽自動車道を経て、福山東インターへ。

23時頃に小林邸に到着。




芦生の森

芦生研究林事務所

学生たちと

由良川

9月

2日

(金)

21日目

 小林さんと奥さんの静香さんとホームセンターや昼飯を食べに街に出る。

買ってきた手動のポンプを井戸に据え付ける。

冷たい水が出てきて小さい感動。

夜はツタヤで借りてきた恒例の寅さんを観る。

第32作「男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎」マドンナは竹下景子。舞台は備中高梁。素晴らしい。







小林邸の井戸

スタジオにいる小林さん

小林邸の窓からのい眺望

寅さん

9月

3日

(土)

22日目

 小林邸の庭木の剪定や草刈りなどの作業をする。

まだまだ残暑のきつい瀬戸内の日差しの下、汗をたくさんかく。

夜は、魚料理を食べれるお店に行く。

青森県十和田市からは祭りの準備の写真などが送られてくる。

早く行かなきゃなぁ








小林邸の庭 草刈り…

小林邸の庭

小林邸の風景

小林邸の風景

9月

4日

(日)

23日目

 小林夫妻と尾道へ行く。お昼にラーメンを食べ、甘味処でわらび餅を食べる。

尾道帆布の雑貨を買ってもらう。

右の足の親指がかなり痛む。

尾道ジーンズを求めて数店舗まわったが、欲しいと思えるものに出会えず。

帰宅後、埼玉の家に帰るための荷造りをして、晩飯を焼肉屋で食べる。

そのまま、埼玉の家に向けて出発。

当然、広島から埼玉は遠いので、行けるとこまで行くということで、滋賀県の名神高速道路多賀SAまで行く。

夜中になっていたので、すぐに就寝。








静香さんと井戸と

尾道で食べたラーメン屋

尾道で小林さんと

9月

5日

(月)

24日目

 中央道を行く。

旅が終わる。

九州を思う。

帰ったら、1日置いてすぐに青森へ出発する。

青森県十和田市へ行ったら秋祭りが待っている。6度目の祭り。

祭りが終わったら大間崎まで行くことを計画する。


旅に出て、埼玉の自宅に帰ってきた時点で4800キロの旅であった。









ハト

9月

6日

 〜

 その後

 6日(火)は青森用の荷造りをして、旅の荷物と積み替える。

7日(水)は陽のあるうちに十和田に着くように出発する。

埼玉の家から十和田市の家まで680キロ。

東北自動車道を行く。9時間ほどの道のり。

3ヶ月近く空き家にしていた十和田の家には換気扇の隙間から迷い込んだスズメの干からびた死骸があった。合掌。

山車作りの仕上げを手伝い、木曜の夜は前夜祭。たらふく酒を飲む。

そして、週末の十和田秋祭りの三日間を堪能する。

祭り後は十和田へ遊びに来ていた多摩美の学生を連れて、八甲田山周遊と下北半島の恐山と大間崎へ行く。

ひと月の間で本土最南端の佐多岬から、本州最北端の大間崎までを行く。

十和田に戻り、ひと月の走行距離が6000キロになる。








スズメの死骸

南町内会の山車と人々

グダリ沼

グダリ沼

睡蓮沼

恐山菩提寺

恐山

恐山・宇曽利山湖

大間崎にある碑

大間崎と遠くに函館

大間の露店のタコ足

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