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概要

 青森県十和田湖周辺の森にはイタヤカエデがたくさん自生している。

特に記録としては残っていないが別の地域での山伏やアイヌの人などがイタヤカエデなどのカエデ類から樹液を採取し煮詰めて楓糖を作っていた事を考えると、この地域の生活の中でも小規模の採取があったのだと思われる。

 青森県の十和田湖周辺では昭和30年頃から、冬の収入源としてイタヤカエデから樹液を採取し楓糖を生産販売していた。

十和田産のカエデ糖は日本で初めての国産メープルシロップだった。

1931年(昭和6年)の国立公園法施行により、1936年(昭和11年)十和田湖周辺は十和田国立公園となる。

1956年(昭和31年)7月、八幡平地域が追加されて十和田八幡平国立公園と改称された。

その後、自然保護が声高になりカエデ糖が生産できなくなり廃止になる。

十和田にはこのような歴史がある。

 そして、平成23年。十和田市在住の大久保学氏を中心に過去の作業工程などの記録・保存を目的として、十和田湖畔の宇樽部地区にてイタヤカエデ10本から樹液を採取し、カエデ糖を生産した。翌年、イタヤカエデ30本から樹液を採取し生産販売もした。

これを踏まえ、平成26年3月に採取地を民有林に移し、その森の植生調査からイタヤカエデがたくさん生育していることがわかり、イタヤカエデ50本から樹液を採取した。この取り組みによって、十和田のカエデ糖が地場産業になりうるのか、そこの地域のためになるのか、冬の新しい取り組みになるのかなど、冬の森にはどのような可能性があり、また、問題点や課題がどのようなところにあるのかを検証することを目的とした。

続。平成27年3月の採取地は、昭和30年ころから40年代まで樹液採取が行われていた十和田湖畔宇樽部地区での採取とした。

イタヤカエデの生える土地をより深く読み込むために、一本一本のイタヤカエデから樹液が何リットル採取できるのか、糖度は何%か。時間とともに出てくる樹液の糖度がどのように変化していくのか。林冠の状態や樹高、胸高直径などのデータを取り、個体差や優秀なイタヤカエデのサイズ、それと、過去の宇樽部地区のカエデ糖生産がどのような理由で優秀であったのかを検証していくことにした。

取り組みに伴い、なぜ1956年当時の営林局がこの取り組みをすることに至ったのかを追ってみることにした。

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この取り組みを通して、人がなぜ人であるのか、自然に対する美しいと思う感情や畏怖の感情は、生物進化の過程でとても重要だったのではないかという仮説を自分で実感するため、自生してる樹木から採取をして、より自然との関係を強く感じると目の前の風景への感情が変わるのではないかということを検証する。

楓蜜採取事業について

 1956年(昭31)2月下旬から3月に渡って、青森営林局管内に自生しているイタヤカエデから樹液を採取し煮詰めて濃縮液(シロップ)を生産する「楓蜜採取事業」が行われた。 実行した箇所は岩手県も含む7営林署の13事業地。 その中でも青森県三本木営林署の宇樽部事業地と子ノ口事業地の生産費が優秀な数字で、同じ三本木営林署内の焼山から子ノ口に至るまでの奥入瀬渓流沿いでの採取は様々な困難があり、成績は不振に終わった。 

以降、十和田湖畔宇樽部・子ノ口地域では農閑期にその土地の農家の人々が樹液採取し、シロップの生産を行っていた。 

 青森林友1957年2月号に記載の「楓蜜採取事業の報告」のむすびに、「三十年後を目標とした薪炭林改良に織り込む施策を望んでの試験経過であった」とある。 これは一体どういうことなのか。時代背景からこの事業が取り組まれるに至ったのか、経緯を推測してみる。 

 世の中は、楓蜜採取事業が行われた翌年の1957年に国有林生産力増強計画が始まる。

国有林生産力増強計画とは、

(一)治山事業を強化すると共に、奥地未開発林の排発を総合的に促進する。

(二)木材需要の変化に即応すると共に、森林経営を集約化し森林生産力を増強するため、人工造林の拡大および林木育種事業を促進する。

(三)木材の生産・利用および消費を合理化する。

という計画です。

1954年から始まる高度経済成長により木材需要の高まりから、規制の緩和を求めて国民とマスコミの要望・圧力から計画されたものである。

この4年後の1961年にも国有林木材増産計画により、さらに造林が拡がる。

これは、向こう四十年間に生産性が2倍になることを試算利用して、成長量の2倍を超える伐採を行い将来に見込まれる森の生産性増大を先食いして木材生産を推し進めた計画だった。

と同時に、木材を熱源とする生活様式が、薪炭から石炭・化石燃料へとの転換が進んでいたため、都市部を中心に薪や炭の需要は減ってきていった。

都市部に住む人の木に対する考え方は建材として利用するというものだけに変わっていったことでしょう。

しかし、都市部から離れた地方では従来の様式によらざるを得ない事情もあり、急激に薪炭そのものを減少させることのできない状況でもあったようだ。

このように複雑な情勢から今後里山に限定されるであろう小面積薪炭林をいかに集約的に経営するかが問題になっていった。

薪炭林の改善については古くから樹種の改良、作業法、伐期齢、伐採季節の改善、保育期間中の手入れの励行などの方法が考えられていたが、実際にはそれほど実行されていなかった。

民有林における掠奪的林業経営や国有林での皆伐作業などの過去の森林の取り扱いは、目先の資源が豊富であったことによる粗放な施業が原因であり、当時その惰性で経営しているものもあったようだ。このような状況を改善するために1935年(昭和10年)青森県平内にある試験林では薪炭林施業の改善策である作業法についての研究を行っていた。主として択伐薪炭林の成長過程を明らかにしたものである。

平内の薪炭林総合試験地では林分構成樹種50余種の中にイタヤカエデがあった。

イタヤカエデは、炭材として最良、成長も良好なコナラ・ミズナラに次いで良好な樹種として分類されている。

炭材としても有用なイタヤカエデの取り扱いに対して、炭材としてだけではなく樹液採取からシロップの生産を行い、イタヤカエデの保存や植林事業を推進し、事業報告に記載されているように、北米やカナダに見られるような砂糖生産量を森から求めるような自然条件を作り出すために、30年後を見越しての事業だったのではないでしょうか。

そして、改善された薪炭林は人の手の行き届いた理想の薪炭林でありカエデの多く生える有用な森なのではないでしょうか。

それを見越しての事業だったのではないか。

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